間が空きましたが続けます。
梅田さんが最初の方で述べているのは、これから「知の世界の再編が起こる」ということです。
たとえばテレビや新聞ではいわゆる「専門家」と言われる人々が出て、世の出来事を解説しています。
しかしその人が「専門家」であることを誰が決めているのかというと、それはテレビや新聞といったマスメディア自身であったり、教授などといった肩書きだったりといった一種の「権威」なのです。
では、それ以外の人はまったくのシロウトかというと、そんなことはありません。どの世界にも驚くほどその事情を知っている人がおり、単に情報を発信するコストが高かったのでそれをやらなかっただけなのです。
たとえば投資の世界では、投資で稼ぎまくっているプロが「専門家」としてテレビに出て来ることはほとんどないでしょう。そんなヒマがあったら本業である投資に専念します。プロがテレビに出るのは「それがビジネスの宣伝になるとき」と「気が向いたとき」ぐらいです。逆に言うと、本業を犠牲にして情報発信することは思っている以上にコストが高いのです。
しかし、今の情報技術を使えば恐ろしい低コストで情報交換が可能になります。情報を伝えるコストが劇的に下がったことにより、プロの投資家だけでなく普通のサラリーマンまでが手軽に情報を発信し、受信し、お互いの知識・経験レベルを飛躍的に高めています。
私もHPやブログをやっているからわかるのですが、ネットの世界では、このようにして「ひとりだけでちょっとしたメディア」になってしまう個人があちこちにいます。
たとえば私は中国情勢をウオッチするのに「日々是チナヲチ」は欠かしません。極端に言えば日経を読まない日はあっても、ここを読まない日はありません。中国に関してどの会社が工場を建てるというニュースより、大きな流れのほうが大事だからです。積み重なった経験が深い洞察を経てユーモアたっぷりに伝えてくれるのが、このブログの嬉しいところです。
こういったブログは毎日更新されなかったりしますが、それでもいっこうに気になりません。プロが本業で忙しいのは当然ですし、アーティストの創作意欲にムラがあることをよく知っているからです。だから「今日は更新されてねえだろうな」と思いつつ、毎日チェックしてしまうのですよ。逆に言えばマスメディアは毎日欠かさずコンテンツを作らなくてはならないので、結果としてメディアとしての質を下げてしまうのです。
これはひとつの例に過ぎませんが、こういったサイトをいくつか知って情報や知識を持った個人それぞれがひとつのメディアになって結びついてしまうと、 マスメディアから一方的に情報を得ることがまだるっこしく退屈になってきます。私もブログを通じて一度も会ったことのないような人々と投資や国際情勢について突っ込んだ議論をしますが、それに慣れてしまうとテレビを見る時間がもったいなくなってしまうんです。しまいにはほとんどの情報を「ネット」「本・雑誌」「信用できる友人」からのみ得るようになり、「オリエンタルラジオって誰よ?」と聞いてしまうぐらい世間から浮いてしまうのです。
しかし、世の中の人々がこういう動きを強めていったらどうなるでしょうか? 「テレビに出ているから」「有名だから」といった理由だけでは誰も「専門家」として認めてくれなくなります。梅田さんの言うように、
「専門家」というお墨付きを与える「権威」そのものが揺らぐ
ということです。
これは、既存のメディアや「専門家」にとっては恐ろしいことです。これまで営々とピラミッドのように築き上げたメディアとしての階層(そしてブランドネーム)が、ブログやHPといったほとんどコストのかからない並列型のメディアに負けてしまうのです。すると、
マスメディアの視聴者(購読者)が減る
↓
広告効果が出ない
↓
スポンサーが減る。あるいは広告単価が下がる
↓
儲からない
↓
取材費を削減する
↓
ますますつまらなくなる
これは完全な負け戦です。抵抗すればするほど傷口は広がるでしょう。だからこそ、既存のマスメディアが執拗にネットを攻撃する理由があるのです。
「俺たちの縄張りを荒らすな!」
「俺たちが作った権威に黙って従っていればいいんだ!」
(でないと、自分のプライドと生活が保てない・・・)
私が逆にマスコミの人間であれば、ネットに規制をかけて自由に使えなくしてしまおうと考えるはずです。
(続く)
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