世界的水危機と日本の戦略(3)
以前も書いた世界の水問題についての追記です。
世界のあちこちで「水が危ない!」と言われながらも、日本は例外的に水に恵まれています。
一方で中国では深刻な水不足・水質汚染・大気汚染・・・。北京オリンピックではプールの水が危ないというので、日本で練習をして本番だけ中国に渡る国もあるらしい。今まで知らなかったんだけど、2004年の北京マラソンでは原因不明で2人死亡しているらしい。
本当にここでオリンピックやるのかよ(笑)。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2004&d=1019&f=national_1019_007.shtml
両国のこの差は何だろうなと思っていたところ、日本では開発が難しい山岳地帯が国土の8割を占め、そのほとんどが緑で覆われているということが大きいからではないかと思いつきました。
もちろん山が多いことで、土砂崩れやら鉄砲水やら花粉症やらといった問題は起こります。また山を維持する労力やコストは大変なものがあります。そして平野では人が密集しますから、通勤地獄やら帰省ラッシュやらといったデメリットもあります。
しかし人がどんどん森に入ってきて木を伐採し、畑を作るにしても限界がある。開発しにくいおかげでひとりあたりの森林や水資源が確保される。そして山に緑と水がたっぷりあれば、海産物が育つのに必要な養分が海に流れる。すると海産物も豊かになって、水産資源も確保できると。
つまり人間が住む2割の土地を、残り8割の山(≒緑)と、豊かな海で養っているので、なかなか人と自然のバランスが崩れない。国土を管理していれば致命的な食料不足・水不足にはなりにくいということなのかもしれません。リスクとしては外敵の侵入と天変地異ですが、これは村が団結してことに当たるしかない。だから自然と、協力的な民族になってしまうのだと思います。
人間と自然の住み分けの中で人々が育ち、自然信仰(アミニズム)が生まれたのだと考えると、大陸で生まれた宗教と少し感覚が違うところも納得できます。ひとつの仮説としては、NZのマオリ族などは似たような宗教観を持っているかもしれませんけどね。
ところが中国などは平地が多いですから、森があればそれを伐採しながら生活領域を広げることが可能です。前回の戦争時には4億人だった人口が、いまや3-4倍になったというのも不思議な話ではないでしょう。
そうやって森を壊しながら人が生活領域を広げ、人口を増やすことができるのですが、なかなかそれに歯止めがかからない。競って開発をするうちに「人>自然」のようにバランスが崩れてしまうのでしょう。人口が増えすぎて森が少なくなると水源が保持できず、食料が作れなくなり、しまいには戦争や疫病で人口調節をするしかなくなります。
中国の王朝は「農村の荒廃→宗教的指導者→農民反乱」で崩壊するのがいつものパターンですが、それを「人口と自然のバランス」という面から見ると、抜けられないループなのではないかと思えます。
だから「一人っ子政策」だとか「宗教弾圧」といった、他国からは理解できないような政策で崩壊を予防するしかないと。
もしかして、俺ってけっこう「知中派」になってきたかな? 知れば知るほど「親中派」になれそうにないんだけどさ(笑)。
そして今日、それと結びつきそうな面白い話を聞きました。
アフリカの南東に位置するマダガスカル島ですが、ここはみんなが焼き畑農業をしてしまい、国土の8割が荒地になっているそうです。調べてみると東側に3000M弱の高い山があるのですが、中央は高原であり南部は乾燥しているもよう。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=wl&q=
マダガスカルはあの位置にあってなぜ台湾ぐらいに発展しないのかなといつも思っておりましたが、その理由は近くに先進国がないこと以外に、水や森といった環境もありそうです。まあこれは、もう少し調べてみないとわかりませんがね。
学校で「日本の8割は山岳地帯」と聞き、平地が狭いから人口密度が高い、家が狭い、人間関係がベタベタしているなどという解説を聞きました。自分でもそれは、ほかの国から見たら不利なことなんだろうなと思っていました。
しかし世界的に環境問題がクローズアップされてみると、日本は例外的に恵まれていて、昔から自然との共生を考えながら生きてきた(そうせざるを得なかった)ということがわかります。
かつて「災厄」に思えたことが、ものの見方によって「恵み」に見えてしまうことは驚きです。そして日本人として当然に思っていた自然信仰にも、ちゃんとした理由があったのだなと感心する今日この頃です。
自分ではなかなか気づかないですが、よくよく考えてみると日本や日本人って面白いですよね。
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