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2007年12月28日 (金)

投資家教育の可能性と限界

最近よく、「サブプライム問題ってどうよ?」と聞かれます。

詳しいことは会員サイトのレポートに書いているのですが、私の意見をまとめるとこういうことになります。

  1. サブプライムは深刻な問題。もっと信用力が高いALT-Aやプライム層まで悪化するのではないか。
  2. 大手の金融機関は「損失計上+資本増強」のセットでこれを処理している。しかし損失計上も資本増強もままならず、息を潜めている金融機関は山ほどあるはず。これはいずれ表に出てきて、対処を迫られるだろう。
  3. なぜなら日本の不動産バブルと同じで、究極的には支払い能力(ソルベンシー)の問題になる。利下げや金利減免をしたところで払えないものは払えない
  4. しかし1-2年は金利低下によって世界的に株価は上がると予想している。影響を受けない国やセクターではバブルが起こる可能性が大。その後はたぶん地獄。

 

こう書きながらも、多くの誤解を与えてしまうんだろうなあと頭の片隅で考えてしまいます。 

というのも、実はこのストーリーにはデータ分析や経験則に基づいており、「株のインデックスは上昇する」とは言っていても「すべての株が上昇するわけではない。むしろ二極化が進む」という本質の話が隠れているからです。

たとえば金融株はこれから数年「相対的にダメ」その後は「絶対的にダメ」、おいしいのは3-4年後からと予想しています。金融株の中でも信用サイクルの直撃を受ける銀行やノンバンクはダメダメ、デット系投資銀行はダメ、エクイティ系投資銀行は悪くないなどと、いう結論が導き出されます。同様のロジックで、「大型株は良いが、中小型株はいまいち」という理由もレポートで繰り返し言っています。

しかし私がここで「サブプライムで株はむしろ上がる」と書いてしまうと、信用力の低い銀行を買ってしまったり、中小型株に集中投資してしまう人が出てきてしまいそうです。

自分が発した情報の一部だけ切り取られたり、都合の良いように解釈されるのは昔からあることなので覚悟しています。しかし最近は特にその怖さというか、影響の大きさを感じることがあります。

で、思うのは「投資情報発信や投資家教育には社会的意義やビジネス的可能性がある反面、限界もあるな」ということ。

 

本にも書きましたが、「情報の価値は受け手の能力に依存」します。どんなに有用な情報を出しても、受け手がそれを感じる力がなければ何の価値もない。むしろ都合の良い解釈を加えて、損をしたらこちらが恨まれたりします。

逆にこちらが1の情報を出しただけで、5にも10にも発展させて利用する人もいます。そういう人は「信じる信じないは自己責任」という原則が徹底しているので、私の見通しが間違っていても恨み言を言われることはありません。こちらとしても非常にやりがいがあり、ありがたい話です。

投資家教育は前者を救うことはできません。後者の人々が回り道をし、痛い目にあう時間とコストを短縮するだけです。人口比率にして5%以下でしょうか。幸い会員サイトには後者のマニアックな人々が濃縮して集まっているのでストレスを感じませんが、投資に関する情報をどう取り扱うかについての難しさをひしひしと感じます。

 

投資で勝ち続ける人は5%もいないと言われています。その理由はおそらく、「投資の技術や考え方を教えることはできるが、性格や信念を変えることはできないから」ではないでしょうか。

信じたストラテジーを守り続ける強い意思、あらゆることから学び続ける向上心、状況に対応する柔軟性、自分のアホさと失敗を認める余裕・・・これら矛盾する資質を持ち合わせた人間はそうそういません。頑固すぎれば柔軟性や向上心がなくなり、柔軟すぎると一貫性がなくなります。

そういった絶妙の人格形成の上に「優れた投資家」は成り立っており、それは社会における人気者や、ビジネスにおける成功者とは異なります。人間は誰しも社会生活に適応するために進化し教育を受けているので、多くの人は多数派として埋没する傾向があります。逆に投資で成功する人間は良い意味でも悪い意味でも異端であり、どうしても少数派にならざるをえないのです。

成功する人は少数派であるという基本構造の中で、より多くの人に情報を発信するという矛盾・・・単純に考えて「理解され感謝されるより、誤解され恨まれる可能性が高い」というリスクを背負うことになります。

しかし逆に「量をこなさないと質は上がらない」「裾野を広げないと頂点は高くならない」、つまり「多くの人に教育機会を与えないと、トップレベルも低いものにとどまる」という法則もあります。

ということは「日本を投資大国にしたいのであれば、自分は誤解されて恨まれてもいいから情報を発信してゆく必要がある」ということ。悩ましいっす(笑)。

 

自分は投資の技術・考え方について、知っていることの約98%を公開しています。残り2%は同業他社にマネされると怖いので、自分の優位性(エッジ)を守るための保険として黙っています。それからこういった秘伝の知識は自分ひとりのものではなく、いろんな人からこっそり教わった「共通の秘密」だったりするので、自分の都合で話すことはできないのです。

しかしたとえ自分が知っているすべてを公開したところで、「投資で勝ち続ける人は5%以下」という状況に変わりはないでしょう。ずっと儲けている人が、さらに儲けるだけの話です。しかし儲ける人のレベルが上がって運用をやってくれるのであれば、日本人がカモにされることなく世界から投資収益を巻き上げることができるかもしれません。

 

そんなわけで、誤解されたり恨まれたりする可能性はあるけど、このまま情報を伝えてゆくしかないんでしょうね。本やブログに書いておけば、今は理解されなくても後世になって評価されることもあるでしょうし。

別に大衆から評価されたいわけでもなく、それはむしろ危険なことかもしれないと感じています。しかしまあ、自分が思ったまま投資家教育を続けてみますわ(笑)。

 

2007年12月12日 (水)

主流と異端のバランス(3) 下克上M&A

大事なことを忘れていたので続けます。

この本は示唆に富む記述が多かったのですが、第四章の「登れるが、降りられない」は特に興味深かったです。

  1. 企業にとってのお得意さんは、複雑で高価な製品(ハイエンド商品)を買ってくれる客である。いったんこの分野での地位を確立したなら、ブランドと既存客の維持に集中したほうが利益率が高いから。いったんハイエンドの市場に行ってしまうと、今さらローエンドで薄利多売をやろうという気はなくなる。「登れるが、降りられない」ということ。
     
  2. 一方で破壊的イノベーションは当初、性能は低くコストが安い。だから収益性の低い顧客にしか受け入れられず、大手企業には見向きもされない。
     
  3. しかしいずれ破壊的イノベーションは洗練され、中位・上位の市場のニーズを満たすようになる。たとえば大型コンピュータ(メインフレーム)に代わってPCが使われるようになり、製鉄でも高炉に代わってコストが1/10である電炉に代わられたりする。新興企業はそうして上位市場に君臨する「かつての王者」を追い落とす。
      
  4. そうやってのし上がった新興企業も、やはりかつての王者のように利益率の高いハイエンド商品に特化し、新しい破壊的イノベーションには見向きもしなくなるかもしれない。ローエンド市場は別の新興市場に制覇され、いずれハイエンド市場までも席巻される。かくて歴史は繰り返す。

これは経験的に知っていたことですが、「(上位の市場に)登れるが、降りられない」と言われたらその通りです。

「プレゼントの値段は上げられるが、落とせない」
「結婚相手の条件は上げられるが、落とせない」

何にでも使えそうです(笑)。

 

ここで思ったのは「ブランドや特許を持っているからと言って、経営者は安心できないな」ということ。

たとえば私が新興国にある会社の社長で、何かを作っていたとします。技術もなくブランドもないですが、地元民の人件費が安いので先進国のローエンド市場を開拓します。これは先進国と新興国の「人件費の裁定取引」なので、儲かる可能性は高いですよね。

さて、カネはできた。しかし依然として技術力は低い。

では下位と中位の間ぐらいで苦しんでいる同業他社を買収して、その市場にふさわしい技術と販路を手に入れましょう。本国の安い人件費を活用し、他社のシェアを奪っていきます。そのうち中位企業でも苦しくなるところが出てくるでしょうから、それを買って技術と販路を手に入れましょう。

これを繰り返してゆくと、「安い人件費」が「潤沢なキャッシュフロー」になり、いずれは「ブランド」「技術・特許」が手に入ることを示しています。破壊的技術がなくとも上位市場に移行できるということです。いずれは安い人件費にも限界が来ますが、それまでに市場を制覇してしまえば関係ありません。

 

うーん、これは個人に例えるとなんだろうなあ・・・。「カネさえあればいずれ地位も名誉も女も思いのまま」みたいなもんか(笑)。

ということは、先進国の経営者は「ブランド」「技術・特許」を持っているからといって、下克上M&Aという錬金術がある以上は新興企業からの挑戦に対して油断してはいけないということになります。ミッタル・スチールなんかはもろにその戦略ですからね。技術を持っている日本の鉄鋼メーカーはターゲットにされるでしょう。

wikiですまんが・・・ミッタル・スチール
            ↓↓↓
    http://tinyurl.com/2qfd9c

たとえメーカーに技術やブランドがなくとも、後からそれらを手に入れることも可能なのですから面白いものです。

(終)

2007年12月11日 (火)

主流と異端のバランス(2) イノベーションのジレンマ

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、再開します。

主流と異端のバランス(1)では、「主流と異端のバランス」あるいは「本業と遊びの配分」が安定と成長を両立させるカギであることを述べました。

国でも会社でも個人でも、本業(と思われること)だけをやっていてもいつかは行きづまる。逆に本業をおろそかにしては不安定になり、それを土台にした成長まで阻害されると。だから長期的に伸びる組織や人は、本能的にそれらのバランスをうまく取っている、と。

またコメント欄では以下のようなことも言いました。

「遊び」というのは「設備投資」に似ているかもしれません。つまりすぐ確実に結果を生み出すかどうかわからないけど、ときには遠くの人々と関わりあいながらリスク覚悟で試行錯誤する部分であると。「遊び上手=仕事上手」ということも言われますが、そういうことなんでしょうな。

 

これらの発見は、先輩に勧められて最近読んだ本といろいろ結びつきました。(アフィリ入ってます↓↓↓)

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき
(Harvard business school press) (単行本)
クレイトン・クリステンセン (著), 玉田 俊平太, 伊豆原 弓

 

ハーバードの教科書だそうです。監修は玉田俊平太さん。

ん?・・・しゅんぺいた、しゅんぺいた・・・ 

シュンペーター!!!

  Σ( ̄□ ̄|||)

シュンペーターが技術革新について語っとんのかい!

これはご本名だそうですが、たぶんお父さんかおじいさんが名づけたんでしょう。お母さんとおばあちゃんは難色を示したけど、絶大な力を持つ父(祖父)に押し切られたと。ああ、そのときの光景が目に浮かぶようです(笑)。

 

おっと、私の妄想エンジンが思わず暴走してしまいました。気を取り直して本の内容をごく簡単に述べましょう。

  1. 今は顧客のニーズにこたえられないかもしれないが、いずれはそうなると期待される画期的技術を破壊的イノベーション(以下、「破」とする)。これまでの技術の延長線上で性能を上げる技術を持続的イノベーション(以下、「持」とする)として区別する。
     
  2. 「破」について、既存客を頼ってマーケティングすることはマイナスである。存在しない市場については誰も想像できないし、分析もできない。破」の市場は思いもよらないところにあったりする。既存客と「破」を結び付けようとするとまず失敗する。
      
  3. 収益面での魅力が大きい既存ビジネスがなくなりでもしない限り、破壊的技術には資源が配分されない。その結果、「破」は資源不足に苦しみ、日の目を見ない。大企業の既存ビジネスが衰退し破壊的技術に目を向ける頃には、その市場は新興企業に制圧されている
     
  4. 大企業には既存ビジネスとその利益率のために構築された主流バリューネットワークや文化があり、それは「破」にふさわしいものと違っていたりする。それは挑戦と学習の繰り返しによって得られるものだ。現在の主流は組織全体を養っているという自負があり、失敗に対して寛容になれない。

これが、「いかに有能で勤勉な会社であろうと、破壊的技術の前になすすべもなく敗退する可能性がある」という「イノベーションのジレンマ」です。

これに対する解決策として、この本の中ではたとえば。

  1. 破壊的技術の開発とマーケティングを、それを必要とする顧客を抱える組織(チーム、子会社)に任せる。
    →技術にマッチする顧客を適切に選ぶ。
     
  2. 組織を独立させ、小さな勝利にも前向きになれる小規模なチームにする。
    →リソース確保・戦略・文化構築において「主流」に振り回されないようにする。
     
  3. 失敗するという前提でリソースを残しておき、再挑戦する体制で臨む
    →失敗・学習・試行錯誤が許される文化を守る

ということを提唱しています。

 

これを聞いたとき、いろんなケースにあてはめて考えてみました。

たとえば日本の銀行は、割合強固な「主流重視組織」です。かつては子会社を作ってリース・クレジットカード・投信投資顧問・証券などに参入しましたが、その子会社が親会社の銀行の意向ばかりを気にするので別会社にした意味なし(笑)。独自の文化と顧客を切り開いて親会社をしのぐような成功をおさめたところはほとんどありませんでした。まあそれも時代とともにかなり変わってきて、採用や処遇を独自のものにするようになってから伸びる会社も出てきましたけどね。

逆に商社は極端な「ノンコア組織」です。子会社を作りすぎてリスクを一元管理できなかったり、資金調達やマーケティングなどで二重三重のムダがありまくり(笑)。しかし内部の競争をも辞さないそのバイタリティと柔軟性が、「冬の時代」を乗り越えてきた原動力でした。まあ商社はもともとリスクテイカーで、分散投資によって収益を安定させるファンド・オブ・ファンズみたいなもんですからね。

一方、メーカーはうまく脱皮しているところがあります。富士電機→富士通とか、豊田自動織機→トヨタ自動車とか、実にうまく時代に適応して親会社を超える例が見られます。これはやはりイノベーションと国際競争にさらされているからでしょう。

ビジネスの性質・業界内の競争・その会社固有の文化・・・このあたりを考えると、それぞれが「主流と異端」「安定と成長」「当期利益と将来への投資」をどう考えているのか戦略が見えて面白いです。

 

もうひとつ「これもまた『イノベーションのジレンマ』だよなあ」と感じたのは、先進的なイノベーションは大企業で生まれるという法則。しかしその技術を世に出す組織がなかったり、充分なリソースが配分されなかったり、時代が早すぎたりすると、その会社では日の目を見ることができない。で、どこか他の会社がそれを使って大成功を収めると。

実はこれ、人材にも言えるのではないかな? と考えたりもします。つまり

起業して成功する人のほとんどは、一時的にでも大企業に勤めた経験がある

という仮説です。

 

少し前には、「学生からいきなり起業」というコースがもてはやされましたが、これは不可能ではないにしても相当厳しい道でしょう。社会人としてのトレーニングもなく、人脈もなく、不十分なリソースや見通しの中で試行錯誤をしなければならないからです。

それに対し大企業から起業するときは、自分が目指すビジネスと企業の方向性にギャップがあり、すでに人脈・技術・顧客などにあたりをつけた上で、これなら勝てるという見通しを持って始めることになります。

また起業をする前に大企業で働いてその便利さと非合理さを知っておくことは、大企業と戦うときにプラスになるでしょう。彼らがそもそも参入する気さえ起こらないところで勝負すれば、実質的な参入障壁の中で利益を確保することができます。あるいは将来的に人を使う立場になったとき、かつて使われていた経験が組織を動かすとき大いに役立ちます。そして究極的には、勤め人に戻るという選択肢まであると(笑)。

「優秀な学生は企業家を目指す」というのはすでに勤労経験のあるMBAなどに言えることで、学部卒でいきなり起業しても成功確率が下がってしまうかもしれませんね。

かつて主流チームの一員として働いていた人々が、異端の社長として業界に殴りこみをかける・・・これが一番効くでしょう。大企業の強さと弱点を知り尽くしているライバルが出現するわけですから。

まあ「知らないほうがぶっ壊しやすい」という考え方もあって、ネット黎明期のように過去の経験がほとんど役に立たない市場では、むしろしがらみがない方が勝つかもしれませんけどね。

 

それぞれの国、会社、個人が「主流と異端」のバランスをどう取っており、局面や相手によってどう変化させているのかに思いを馳せると、面白くてやめられません。

2007年12月 5日 (水)

制約条件とゲームの変質

野球の星野ジャパンが見事、北京オリンピック出場を決めましたね!まずは「おめでとう」と言いたいです。

自分は日曜の韓国戦を見て、月曜の台湾戦は最後だけ見ました。台湾戦は終わってみれば日本の圧勝で、メディアは「用意周到な星野ジャパンの完勝」と喜んでいました。

 

しかし実はこのゲーム、勝てば良いという単純なシロモノではありませんでした。なぜなら「当該チーム同士が直接対決で決められない場合、次は失点率で決める」という少し変わったルールが採用されていたからです。

放映したテレビ局は、「北京への切符は1枚だけ」と煽っていましたが、それは違います。これに負けても世界最終予選の上位3位までに入れば、出場権を得られるのです。

「失点率」と「最終予選が残っている」。このふたつの条件が、日本対台湾の野球を複雑なものにしてしまいます。

日本が勝てば文句なく1位で勝ち抜けですが、負けても2失点までなら日本が失点率の差で勝つことになります。日本のほうは4失点以上で負けると韓国が失点率で上回るため、勝つしかなくなります。

日本0-1台湾  日本
日本0-2台湾  台湾(日本との直接対決勝者)
日本0-3台湾  台湾 4点以上とっても同じ結果
日本1-2台湾  日本
日本1-3台湾  完全な3すくみにて不明(自責点率など)
日本2-3台湾  日本(韓国との直接対決勝者)
日本1-4台湾  韓国(台湾との直接対決勝者)

 

さて、これらの状況から考えると、複雑なゲーム事情が浮かび上がります。

  1. 日本としては、2失点までなら負けても良い。
    極端に言えば1-0でリードした9回裏にランナーが2人出たら、ホームランを打たれるわけにはいかない。ということは3連続四球でも、3連続ボークでもいいから、バットを降らせることなく強制的に2点を取らせて負けなければならない。
  2. 台湾としては、日本に2点以上取られて4点以上取って勝つと韓国が1位になってしまう。すると最終予選に日本が出てくることになり、3つの枠が実質2つに減ってしまう。だから日本が0点なら2点以上、日本が1点なら3点取って勝つしかない。

台湾にとっては針の穴を通すような厳しい制約条件です。日本が2点以上取った時点で台湾の勝ちぬけがなくなるので、台湾としては厄介な日本と最終予選で戦うより、韓国と戦いたいと思うはずです。つまり日本が2点取った時点で、お互いに日本に勝たせる以外の選択肢はなくなるということ。

こうして考えると、星野ジャパンが満塁スクイズで2点目をもぎ取りに行ったことが理解できるでしょう。その時点でゲームは終わり、あとはいかにエレガントかつさりげなく日本に勝たせるかという形作りに入るわけです。

 

こういった出来レースのような勝負を見ると、「スポーツマンらしくない!最後までちゃんと戦えよ!」と言う人がいます。

確かに興行主・メディア・視聴者にとっては、勝負の決まったスポーツを見るほど苦痛なことはないでしょう。しかし一方で、戦う必要がなくなったアスリートに怪我のリスクを背負わせてまで戦わせるというのも残酷な話です。

こうして台湾が負けるしかなくなった原因は、勝ち抜けのルールが最後まで戦うように設計されていなかったということに尽きます。

 

3連勝はすばらしい。日本には実力もある。

しかしだからといって、台湾に大差で勝ったことを当然と考えるのは能天気すぎるでしょう。2点取られた時点で、彼ら自身の都合により負けるしかなくなったわけですから。

そういった制約条件によるゲームの変質に気付かないうちは、スポーツでも投資でも勝ち続けることは難しいでしょうね。

 

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