新刊出来!

2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

Google Analytics

  • トラッキングコード

« 永久保有ポートフォリオ(3) バフェット流投資のこれから | トップページ | 福島原発: 日本文明の限界(2) なぜこの人が日本の首相に? »

2011年5月 5日 (木)

福島原発: 日本文明の限界(1) 倒産する会社に似た現象

福島原発は、2ヶ月近く経過してようやく1号炉の建屋を覗くことができるようになりました。

しかし危機管理が全くできておらず、「失敗の本質」に書いてある旧日本軍と同じ弱点をさらけ出した点で、いろいろ考えさせられる状況が続いています。

 

そこに書いてあった「旧日本軍の弱点」とは、以下の通りです。

  1. 情報軽視・技術軽視・人命軽視
  2. 自分や他人の失敗から学べない
  3. 失敗したときの代替(コンティンジェンシー)プランがない
  4. 指揮系統や責任がはっきりせす、勝手な「命令」が飛び交う
  5. 能力や意欲のない人物が出世する。たとえ失敗しても「栄転」する
 

まずそのタイプの原子炉は危ないという情報や、改善勧告を無視したことは「情報軽視」です。

いざというときの作業用ロボットを用意せず、電源喪失のケースを考えなかったのは「技術軽視」です。

普段は下請け・孫請け・ホームレスに作業させ、いざというときは自衛隊や消防隊に「特攻」させ、代わりはいくらでもいると考えて満足な装備や処遇を与えないのは「人命軽視」です。

チェルノブイリやスリーマイルから学べなかったのは「自分や他人の失敗から学べない」ということです。  

「原発は安全だ。だから事故のときのことは考えなくて良い」というのは代替(コンティンジェンシー)プランがないということです。

対策室ばかりが増え、スピードが上がっているように見えないのは「指揮系統や責任がはっきりしていない」からです。

責任ある立場の人々がどこか他人事で、責任のなすり合いをしているのはそんな人々が出世したからです(ついこのまえ責任を取って辞めたはずの人が重職に返り咲いています)。

 

今回特に考えてみたいのは最後の部分です。

今の日本は政治家にしても経営者にしても、「この人がどうしてこの職に就いているんだろう」と思うことが多くなりました。

もちろんちゃんとやっている人は目立たないでしょうし、たまたま問題がある人を大きく報道するだけなのかもしれませんが、まるで倒産直前の会社のように組織が機能していないのです。

 

政治家や経営者は責任者として先頭に立って問題を解決しなければならないはずです。

しかし「俺は悪くない」「コイツの責任です」などと、問題をほったらかしで責任回避ばかりしているように見えるのです。

この現象について、私は「誰が悪いから」「しょうがないから」で終わらせる気はありません。なぜならその思考回路が問題の根源ではないかと考えるからです。

したがってここでは当事者意識を失うことなく、自分を含めた日本社会の問題として考えてみようと思います。

 

日本中の期待を背負って政権交代を達成した民主党ですが、財源のないばら撒きや、支持母体を考えればできるはずのない公務員改革など、およそ実現不可能なマニフェストを掲げて来ました。

自民党への幻滅や批判が大きかったにしても、それよりもマシだろうと国民が期待したことは間違いありません。

しかしほどなく、民主党の面々が「文句タレ」の域を出ていないことを知りました。国民は民主党にも幻滅し、次はどこに投票したら良いのか迷っている人々は大勢います。

 

ここでは民主党が口ばかりだとか、何でも人のせいにするなどといったことは問題にはしません。

「地位が人を作る」という言葉があるように、重い責任を負えるようになるには長いトレーニングが必要です。それまで他人の悪口を言うことで人気を得てきた人々がいきなり国の経営をするのは荷が重過ぎるのです。

むしろ問題は、経験や能力がまだ足りない人々に過剰な期待をしリーダーとしてもて囃したかと思うと、すぐ幻滅して次の救世主を求めてしまう日本人の幼稚性にあるのではないかと考えたりします。

 

今の原発処理を見ていると、まるで倒産直前の会社のように組織が機能していません。

上は現場のことも、技術のこともわかっていない。その仕事に人生を賭けてきたわけでもない。

「チェッ、俺のときだけこんな事故が起こるなんてついてないな。誰に責任を押し付けて尻拭いさせようか」

こう考えているように見えてしまうのです。

そして下に対しては「散らかった燃料棒を明日までに片付けておけよ!できなきゃクビだからな!」と命令するだけです。自分にはアイディアがないので、権力をカサに着て脅しつけるしか方法がないのです。

 

そう言われると下のほうはツライ。

装備も処遇も敬意も名誉も与えられず、「お前の責任で解決しろ!」と命令されるだけなのですから。

仕事と責任をすべて丸投げされ、うまく行けば報酬・成功・名誉は上のもの、失敗すれば自分の努力や名誉は守られずクビです。やってられません。

上からは「命懸けでやれよ!」と凄まれますが、全く説得力がありません。シロウトの思いつきを真に受けて自分が本当に死んでしまったとしても、全く見返りがない犬死にです。

「こんな奴のために死んでたまるか。怠けていてもちゃんとやっても怒鳴られることには変わりない。素人にはどうせわかりゃしないんだし、仕事してるフリしてお茶を濁そうぜ」

というように自己防衛に走ります。

 

その結果、目指すゴールは達成されません。

上司はますます怒鳴って圧力を強めますが、下はますますやる気を失います。

ミスが増え、離脱者が増え、似たような失敗が繰り返されるだけです。

 

これは現場を責めれないでしょう。

上がそんな状態だとやる気が起きないし、実際にやるだけ損だからです。

ただ我々が「日本の問題」として考えなければならないのは、なぜそんな人が上に立つようになったのか、それを修正する仕組みはないのかということです。

 

これは以前に書いたように、日本の家族制度に根ざしているからではないかと考えたりします。

それは日本の強みでもありますが、もしかしたら平和な時代が続くと同じような問題を発生させる「持病」なのかもしれません。

 

60-70年おきに頭をもたげる日本の問題。

その根本原因となる「幼稚性」。

それについて考えます。

 

 

« 永久保有ポートフォリオ(3) バフェット流投資のこれから | トップページ | 福島原発: 日本文明の限界(2) なぜこの人が日本の首相に? »

コメント

毎度ご無沙汰しております。

産経新聞の阿比留瑠比さんのブログに興味深い文章がありました。
日本人が持つ根本的な欠陥であるように感じられます。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2267036/

「日本人と『日本病』について」(岸田秀・山本七平著、文春文庫)を紹介し、
改めて岸田氏の慧眼を讃えたいと思いました。この本の中で岸田氏はこう語って
います。


 《…集団においていちばん問題になるのは、無能なリーダーをどのようにして排除するかということです。日本的集団では、無能なリーダーたちは下の者たちの人望を失い、その支持と協力を得られなくなって、おのずと排除されるという形をとる。ヨーロッパ的集団では、業績の評価に基づいて排除される。》

 ああ、まさに現在の政界と官邸における菅首相のありようをそのまま克明に描写しているかのようです。問題は、まだ排除しきれていないところですが。岸田氏はさらに続けます。

 《日本には業績の評価に基づいて無能な者を排除するという伝統がもともとない。無能だということで馘になった大学教授は一人もいないし、日清日露以来、太平洋戦争に至るまで、日本軍の将軍で作戦指導のまずさをはっきりと糾弾され、何らかの不名誉な処遇をされた者は一人もいない。》

 そうなのですよねえ。菅首相の無能さを批判すると、すぐに「菅首相だって頑張っているのだから」とかばう反論を受けますが、彼が主観的に頑張ろうと頑張るまいと国民には結果しか関係ないのです。だけれど、日本的発想ではその割り切りができにくい。岸田氏はそこから敷衍して述べます。

 《日本軍においては、だから、無能な司令官や参謀が続出したのは必然的だったわけです。インパール作戦の牟田口中将なんかは、どなり散らすしか能がなく、無能で卑劣な将軍の最たる者でしたが、ああいう男が排除されず、ビルマ第十五軍の司令官として強大な権力を持ち、八万の日本軍兵士をムダ死にさせる結果になったところに、日本軍の構造的欠陥がはっきりと現れています。》

 どなり散らすしか能がなく、ってまさに菅首相そのものについて語っているかのようにぴったりですね。これは別に「軍」に限らず、官僚機構でも、政府・官邸のあり方としてもあてはまることでしょう。先日のエントリでも書きましたが、こういう日本的集団のあり方が政治の場で現出すると、事態は最悪となっていきます。岸田氏のわかりやすい比喩は続きます。

 《もし牟田口が店員を五、六人使っている個人商店の跡取り息子で、親父が死んで牟田口商店を継いだとすれば、店員たちに馬鹿にされ、嫌われ、逃げ出されて、店はつぶれたでしょう。あるいは、彼に妹がいたなら、その妹が有能な店員と結婚して、牟田口商店をやってゆくということになったでしょう。商売の世界なら当然脱落する彼のような男を排除するシステムが日本軍にはなかったということです。》

 これは、いま私が政治について感じている問題意識とぴたり符合します。菅首相のような官邸スタッフ(岸田氏のいう店員に当たりますか)にまで「クズ人間」と呼ばれ、「この局面で、菅首相の悪評の多さは尋常ではない」(1日付日経新聞コラム「風見鶏」)と指摘される人物が当選回数を重ね、位人臣を極めさえする。この不条理を阻止するシステムないし安全装置が日本にはないと…。

************** ここまで


Jおじ さん

ご無沙汰しています。

なるほど、皆さん同じように感じているんですかね。

私も山本七平さんの本を読んで、驚いた記憶があります。特に「米兵や欧州人の捕虜は自分たちで統治機構をすぐ作るのに比べ、日本人捕虜はそれをしない。結果としてヤクザ者が仕切ることになる」というくだりです。

そのときは過去の、全体主義の風が吹いていたときと他人事のようにとらえていましたが、今になってみると当時と共通するものがあると強く感じます。

せっかくですので、そのあたりもからめて続きを書いてみようと思います。ありがとうございました。

確かに日本人は幼稚すぎると思います。一方で楽天的でありすぎるというか。私はアメリカ人厳しいなとは思うのですが、彼らの合理性のほうが好きなんですよね。民主党のような政権を誕生させる日本人が嫌でたまらなくて日本を出たのですが、やはり母国ですしうまく行ってほしいと願ってます。でもまた同じ過ちを繰り返していますね。一人一人は優秀なのに、なぜ集団になるとこれほど愚かなのでしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1852/39875745

この記事へのトラックバック一覧です: 福島原発: 日本文明の限界(1) 倒産する会社に似た現象:

« 永久保有ポートフォリオ(3) バフェット流投資のこれから | トップページ | 福島原発: 日本文明の限界(2) なぜこの人が日本の首相に? »

フォト
無料ブログはココログ

スポンサードリンク