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2011年8月27日 (土)

福島原発: 日本文明の限界(4) 「自分たちを統治する」ということ

お待たせしました。続きです。

 

日本文明の弱点を考えると、少なくとも戦後に関しては「能力や業績の評価をする習慣もないし、それでリーダーを選ぶなんて考えたこともない」ということに行き着くかもしれません。

自分を統治するリーダーを選べないということは自分たちで自分たちの社会を統治できないということにつながります。その結果、誰か他の者---つまり外国人・メディア・裏社会・その場の雰囲気・世間の噂話などによって支配されやすいということかもしれません。

 

この特性は大きな問題になるときと、そうでないときがあると思います。

変化の少ない時代は

経験 ≒ 能力

なので、年功序列で問題ありませんでした。

戦後は復興と人口増加による需要増加がありました。また円が暴落し破壊された設備が一新されたことで輸出競争力が回復しました。少し前の中国のように、「世界の工場」となる条件が揃っていました。

だから年功や持ち回りでリーダーを選んでもたいした問題にならず、ほどなくアメリカに次ぐ経済大国の座に返り咲くことができました。

 

しかしその一方で、日本文明独自の問題はくすぶり続けました。

能力や業績が評価されないのであれば、たとえば長時間労働だとか、会社への忠誠心だとか、他人の噂などが評価の対象になります。それが過労死・社畜などといった言葉を生み出した背景なのかもしれません。

また「ミスをしたことがない」という不敗神話が出世の条件であれば、仕事をしないのが一番確実です。その結果自分は手を汚さず、常にうるさく口出しして、誰かが成し遂げた功績を横取りする人間ばかりが増えることになります。

すると時間が経つに連れて、有能な人が上に行くより、文句ばかり言って自分ではやらない人が出世する確率が高くなってしまうのです。

 

そして一度失敗するとなかなか這い上がれない社会構造は、事実上の身分制度を作りつつあります。かつては勉強ができたらある程度出世できたものですが、最近では親が金持ちでないと勉強する環境すら与えられないという「大貧民ゲーム状態」になっています。

世界最大の債権国になっても、労働環境や社会の窮屈さが改善することはありませんでした。そして経済が斜陽になっても自殺や鬱病は増加し続け、それが「豊かさだけが原因の病」とは言い切れなくなってきたのです。

 

それでも、全体としてうまく回っているのであればそのシステム自体が疑問視されることはありませんでした。

しかし年功序列が崩壊しても、労働環境が改善したわけではありません。優れた力強いリーダーを選んで苦境から脱出しようという動きが強まったわけでもありません。

そのときの雰囲気で首相が選出され、すぐ「コイツはダメだ」と烙印を押し、また次の救世主を探すことの繰り返しです。

 

こんなアホな状態は今だけだ、と思いたいところです。

しかし残念ながら戦争前後の歴史などを読むと、今の状況と酷似していることがわかります。そして「これは日本文明が持っている弱点なのではないか」と考えてしまうのです。

 

私が特に覚えているのは、ある人に贈られた山本七平さんの「一下級将校の見た帝国陸軍」にこんなくだりがあったことです。

(大意)欧米人は捕虜になると自分たちで統治組織を作る。たとえば大統領にあたる人や、省庁、裁判所、各種委員会を組織する。そして規律が乱れないよう、自分たちでスケジュール管理しながら生活する。

日本人捕虜はそんなことはしない。給食や配給はヤクザ者に牛耳られる。彼らに逆らった日本人はリンチで殺される。米兵がヤクザ者を取り除くと平穏を取り戻すが、しばらくするとまたヤクザ者に仕切られている。ダメだこりゃ。

 

これを読んだときはショックでした。

欧米人捕虜が統治組織を作るのにも驚きましたし、日本軍の組織・階級がまったく機能せずヤクザ者によって牛耳られていたことにも驚きました。

欧米諸国が戦争慣れして捕虜になったときのマニュアルが整備されていることは大きいと思います。しかし日本側は「我々は負けない → 捕虜が出ることはない → 捕虜になったときのことは考えない」と思っているようで、全く戦う体勢になっていないのです。

まるっきり「原発事故は起こらない → 事故への備えをする必要はない」という思考回路と同じです。

 

「こりゃ、負けるわ」

と思いました。

そして表の権力の形骸化---今の日本政府が外国人やメディアにいいように利用にされ、日本国民をリンチするときだけ妙に元気である様とそっくりだなと思ってしまうのです。

 

こうして考えると日本文明には多くの美徳や長所があるものの、自分を統治したり他民族を支配することに関してはあまり上手ではないかもしれません。

もちろん技術を開発したり、改良したり、伝えたりすることは得意です。しかしその果実をまんまと奪い取られたり、他人に利用されて損な役回りを押し付けられることに対してあまりにも鈍感だと思うのです。

こうして考えるとなぜ日本で詐欺が減らないのか、国際社会でカモられ続けているのか説明がつくような気がします。

逆に西洋文明(特に米英)はやはり世界の支配者となるだけの理由があると思います。

 

これをどう改善すれば良いのか、という答えはまだ見つかっていません。

なぜならば文明の長所や限界はその発生した自然条件や歴史によって作られ、価値観・宗教観・アイデンティティとなって深く根をおろしているので、一朝一夕には変えられないと思うからです。

ただそれでも、西洋以外の文明に較べたら日本文明はかなりマシと言わざるをえません。そして幸いなことに日本人はかなりIQが高いらしいので、自覚と努力によってこの弱点が顕在化しないようノウハウを体系化することは可能だと考えています。その蓄積されたノウハウを活かせるかどうかは別問題ですが、まずはそこから始めるしかないでしょう。

 

別に西洋文明に代わって世界の支配者になりたいとは思いません。しかし他のしょうもない文明に滅ぼされる前に何とかしたいところです。

まずは彼我の差を知り、考えて行きましょう。

 

自分に命令しない者は、いつになっても下僕にとどまる

- ゲーテ -

 

2011年8月 3日 (水)

福島原発メモ:再臨界は起こりうる

シリーズを放置してすまんです。

元東芝の原子力専門だった先輩と話す機会があったのでメモします。まだ裏は取っていませんが、とりいそぎ。

 

1. 再臨界は起こりうる

再臨界を起こすには特殊な配置と減速材(水)が必要だから、福島原発でそれが偶然に起こる可能性はほぼゼロだという人もいる。

しかしこれは効率的にエネルギーを取り出すしくみであって、制御されない核エネルギーを放出するだけなら高濃度のウランがあればこと足りる。

証拠1 東海村事故ではバケツだけで再臨界を起こした

証拠2 核兵器に水は必要ない

 

2. 実はアメリカの原発もヤバイ

アメリカはスリーマイル島の事故(1979年)以来、原発を作っていない。つまりどの原発も30年以上は経っているということ。

そして技術者が育っていないので、日本と組むことにしている。

 

3. 日本は水冷、アメリカは空冷

アメリカは富士山のような形をしている空冷式の原発が主流。

それに対し日本は水が豊かであるし、コストの安い水冷式が主流になった。

別の言い方をするとコストを抑えるために立地は海岸沿いに限られているということ。地盤の弱さや津波のリスクはあまり考慮されていない。

 

4. 昔は緊急事態に対する議論が活発だった

その先輩が東芝にいた頃は、「旅客機が突っ込んだらどうなるか」など緊急事態にそなえた議論が活発になされていた。そのためにロボットを作る動きもあった。

しかしそれはいつしか「原発事故は起こらない」という論調が主流となり、備えもなくなってしまったようだ。ただこれは東芝が決定したことなのかどうかわからない。

「考えなければリスクは存在しない」という日本的な発想かもしれない。 

 

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