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2012年8月31日 (金)

米中冷戦における日本(5):軍部利権としての朝鮮併合

 

日本に黒船がやってきたとき(1853)、世界は弱肉強食の帝国主義でした。

産業革命によって西洋とアジア・アフリカの科学力・産業力格差は絶望的なまでに開き、列強が資源と市場を確保するため植民地を広げる時代でした。

武器や輸送技術(蒸気船・蒸気機関車など)が発達し、東洋の大国であるインドや清までもが収奪の対象になりました。 最後はいよいよ日本の番です。

日本も最初、西洋列強を追い払おうとしました(尊王攘夷)。しかし薩英戦争や下関戦争で「だめだこりゃ」とすぐ悟り、制度改革や外国交易によって富国強兵をはかることになります。こうして明治維新が始まり、日本は西洋的国民国家を作ると同時に近代化をなしとげました。

 

一方、ロシアはオスマントルコの弱体化につけこんで南下政策を進めていました。

しかしクリミア戦争(1853年)では英仏との産業力の差を思い知らされ、露土戦争(1877年)では一定の成果を収めたものの各国の警戒を呼んで欧州における南下政策を断念します。

そこでロシアは、アジア方面の領土拡大に力を入れます。清の弱体化に伴い、すでにアイグン条約(1858年)と北京条約(1860年)で外満州と現在のロシア沿海州を手に入れています。

 

日本には危機感がありました。

どの列強が朝鮮半島を支配するにしても、次は日本にやって来る。

特に怖いのはロシアです。ロシア文明は西洋文明に次ぐほどの科学力があり、荒っぽい戦争をします。そしてアジア人を人間とは思っていません。もっとも当時、白人以外は人間扱いされないことが普通でしたが。

現実に文化露寇(1806)や対馬占領事件(1861)などが起きており、領土拡大に関して野心満々であることは明白です。

そのロシアがシベリア鉄道を使って軍を送り込み朝鮮半島にまで勢力を延ばしてきたら、次は日本は植民地にされてしまうかもしれません。自分よりも優れた文明がすぐ隣にやって来ることの恐怖があったのです。

 

それなのに清も朝鮮も現実を見ようとせず、国内で足の引っ張りをするばかりです。

当然、「アジアが団結して西洋に対抗しよう」という人々もいました。これは興亜論とかアジア主義と言われます。しかし思想の世界にどっぷりと漬かって現実を見ない清や朝鮮の態度は、次第に幻滅へと変わって行きます。

朝鮮開花派の熱心な支援者だった福沢諭吉は、甲申事変(1884)での金玉均処刑にショックを受けました。その後論説で「だめだこりゃ」と完全に匙を投げました。

[脱亜論より]

悪友を親しむ者は共に悪名を免る可らず。我は心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり

 

そこで日本は日清戦争(1894)で清と戦い、これに勝利。朝鮮半島から清の影響力を排除し冊封体制から脱却させました。

清との戦争を「楽勝」と誤解している人も多いようですが、陸奥宗光などは最後まで楽観していなかったようです。それまでは清こそが東アジアの大国であり日本など取るに足らない存在だと思われていたのが、これを境に見る目が変わりました。

 

しかし日本が三国干渉に屈服したのを見て朝鮮王室はロシアに接近。高宗はロシア公使館で1年ほど執務をし、ロシアをはじめ列強に利権を提供する事件が起こります(露館播遷)。

高宗は日中露に対抗して皇帝を名乗り、国名を朝鮮国から大韓帝国に変更(1897)。自国を同ランクに格上げしながら列強の相互牽制による独立維持をはかります。

せっかく戦争までして中国の影響を排除したのに、肝心の朝鮮自らがロシアを招き入れるので日本にとっての軍事的脅威はなくなりません。

 

そこで日本はロシアと戦い、これに勝利します(日露戦争1904)。

日露戦争は近代戦において有色人種が白人に、近代的立憲君主国が前近代的専制国家に勝利したという意味で世界に衝撃を与えました。

 

これだけ見ると「日本人ってスゴイ!」と思います。

確かにこの時代、多くの人材が能力をフル活用しながら困難な時代を乗り切ってきました。

黄色人種ながら植民地化されることなく列強側に回れたことは、誇って良いと思います。

 

しかしこの勝利はロシアの勢力拡大を喜ばない関係各国、特に鬼畜の大英帝国(←褒め言葉です)のサポートがなければ不可能でした。

大英帝国は自国の利権を守るために欧州、中央アジア、東アジアなど各所で「ロシア封じ込め」に動いており、その点で日本と利害が一致したのです。

日英同盟(1902)は日本に対しかなり好意的な内容でした。日露戦争でも中立を装って他国の参戦を牽制しながら、兵器・諜報・妨害・宣伝・資金調達などで日本側が有利になるよう動きました。

日本の努力や犠牲を過小評価するつもりはありません。実際に戦闘においてロシア軍を叩いたのは日本軍です。

しかしより大きな「戦争」というコンテクストで見た場合、当時のシーパワー覇権国家「鬼畜の大英帝国」(←褒めちぎってます)の極東代理店として、ランドパワーの雄ロシアを撃退したのが日露戦争だったと言えるでしょう。

 

この戦争の結果、日本は朝鮮半島(大韓帝国)に対する支配権を露米英に認めさせました。

桂タフト協定によれば、桂は日露戦争の原因を韓国政府(大韓帝国)の外交のせいとしており、このまま放置すれば他国と勝手に条約を結んでまた日本を戦争に巻き込むだろうとしています。この認識に基づき大韓帝国の外交権は接収され、事実上日本の保護国となりました。

大韓帝国はその後もハーグ密使事件(1907)のように勝手に外交しようとしたため、日本が内政権も掌握。軍隊を解散させました。

Wikipediaなどを調べると「度重なる韓国側の条約無視により、日本では併合賛成派が優勢となっていた。併合に慎重だった伊藤博文の安重根による暗殺(1909)によって日本国民は怒り、1910年の日韓併合につながった」とあります。

 

????? わけがわからない  ?????

 

「大韓帝国が条約を無視して勝手に外交し、ロシアを招き入れるから困る」ということはわかります。伊藤博文を暗殺して、日本国民が怒っていることもわかります。

しかしその報復がどうして、「日本との併合」なのでしょうか?

 

当時の日本はロシアに勝ち、列強と認められています。有色人種からはもちろん白人からも一目置かれ、後には国際連盟の常任理事国になります。だから大韓帝国の中に、日本との併合を望む人々がいることは理解できます。現に当時の最大政党である一進会は「韓日合邦を要求する声明書」を上奏し、日本に併合されることを強く望んでいるのです。

しかし日本側には全くメリットがありません。

当時の大韓帝国は破綻した状態にありました。国は借金まみれ。教育もインフラもなく、産業もありません。当然その費用負担は日本国民に回ってくるでしょう。おまけに国境をロシアと接することになり、陸軍を維持する費用が重くのしかかってきます。まるで今の北朝鮮を併合するようなものです。

そんなことを当時の日本国民が本当に支持したのでしょうか。

 

「おまえー!勝手にチョロチョロ外交するな! ロシア人を招き入れるな! よくも伊藤博文公を殺しやがったなあ! 罰としてお前も一等国民にしてやるー! 教育とインフラを整備してやる。俺たちが代わりにロシアと戦ってやるから覚悟しとけー!」

もはや甘やかしなんてレベルではありません。日本のほうが属国に見える超優遇策です。

 

これがたとえば鬼畜の大英帝国(←褒めてますってば)であれば、釜山や仁川を香港・マカオのように租借して港湾を確保しつつ、防衛ラインと軍事負担を最小限に留めたでしょう。

海洋国家としては海上交通の安全を確保することが最優先であり、その先にある大陸のもめごとに首を突っ込むのは自殺行為だからです。

 

そこでひとつの仮説を立てます。

戦争が終わって大陸から撤退ということになれば、陸軍は予算が大幅に削られてしまう。

それは朝鮮半島に利権を持っている他の人々にとってもマズイ。

この利権を確保するためには朝鮮半島を併合して、「国防費」として聖域化してしまえば良い。

これは日本から資金と技術を頂戴したい、朝鮮半島の勢力と利害が一致します。

本当は台湾のほうが海洋国家にとっては重要ですが、そちらは陸軍などの大陸利権につながらないため捨て置かれた、という仮説です。

 

国際協調派であった伊藤博文は、今で言えば海洋派でしょう。

それに対して朝鮮併合を押し進めた山縣有朋、桂太郎、寺内正毅あたりは大陸派です。

この事件は大陸派(現地民含む)がテロによって海洋派を駆逐し、際限のない大陸覇権主義の口火を切ったとも言えます。

軍部の暴走といえば五・一五事件(1932)を連想する人も多いでしょうが、「伊藤博文暗殺(1909年)と朝鮮併合の時点ですでに海洋国家としての道を誤った」というのが私の考えです。

 

 

日本式植民地経営の特色は、「教育やインフラを整えて民族が自立できることを目指した」というところにあります。

本当はちょっとぐらい欧米のように収奪したかったのかもしれませんが、 人種差別反対の旗印をかかげて戦った手前やりにくかったのかもしれません。 あるいはもともと辺境の民なので、他民族を支配することが苦手なのかもしれません。 ともかく欧米の苛烈な植民地支配とは違ったものであったことは、戦後に独立した各国がそれなりに発展していることからも伺えます。

特に朝鮮半島は資源があるわけでもなく、日本からの持ち出しでインフラを整備しました。東北の農民が飢えても、朝鮮半島の支援を優先しました。

「ロシアの脅威に備える」というお題目があるとはいっても、やはり異常な優遇です。今の日本の「外国のために日本人を犠牲にする政策」「東北復興よりアジア支援」と通じるものがあります。

 

さて、なぜだか朝鮮半島を併合してしまったため、日本はその防衛のために満州国を建設しなくてはなりませんでした。防衛線の拡大、多面作戦、軍事費の増大と大陸国家の重荷を背負うことになったのです。

海洋国家のメリットとして「軍事費が軽い」「文民統制がしやすい」「科学技術や産業が発展しやすい」を挙げましたが、陸軍が肥大化して恒常的に予算を取るようになればそれらは失われます。

国際協調は損なわれ、租税負担は重くなり、科学技術が停滞し、独裁的な行動を取るようになります。もしかしたら日本人の思考回路に小中華思想が「転写」されたのかもしれません。願望ばかりが先に立って、現実的な判断は失われます。

日本は次第に海洋国家と敵対するようになり、ついには対米戦へと踏み切りました。

(続く)

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コメント

確かに疑問に思ってた事なんですよね
朝鮮半島全域を併合する必要性はなかったのではないかと

朝鮮半島に比べて東北に国家予算の配分が少ない理由は明治維新の時に朝敵のレッテルを貼ってしまったからと思ってました

丁さん、

まったく不思議なことです。
ロシアが怖いのはわかりますが、そうであれば海を挟んで対峙したほうが良かったでしょう。
ただ、朝鮮半島に軍を展開しなければならなかった理由はそれなりにあったことを思い出しました。それについては後ほど述べます。ただ現在その必要はなくなっています。

明治政府について調べものしてるときに感じた事なのですが明治政府は記紀神話の再現をやってたのではないかと思うことがあるのです
日韓併合も三韓征伐や仁那日本府を再現したという側面もあると感じます

丁さん

なるほど三韓征伐の再現ですか。それは面白いですね。
国民意識が高まったときでしょうし、不思議ではありません。

貴方のおっしゃる通り、大陸への進出は島国としては最悪の国家戦略であり、愚か極まりないモノだと思います。やはり我が国は海軍力とそれを補佐する航空戦力及びミサイル戦力にて海上の要衝を抑えて行くのが自然な姿だと思います。周辺国との無用な対立を避けつつ、確実に海上航路の要衝を平和的に抑えていくのが一番現実的な国家戦略だと思います。

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